

激辛カレー
カレーが好きだ。 専門店のインドカリーから ご家庭のお母さんカレーまで どんなカレーも好きだ。 ただ胃腸の調子が良くないと 市販のルーのカレーはチト辛い。 余計な混ざり物が入ってるから。 なのでスパイスと具材だけの インドカリーなら 身体の調子は関係ない。 というか調子が良くなる。 Aishaの頃は生真面目に 正しいインドカリーを作ってたが、 人のためじゃなく自分のためとなると、 めんどくさくてやらないなぁ、むむ。 それでもたまに正しいインドカリーが 食べたくなる。 そんな時は迷わずスーパーに行く。 ”エチオピアカリー”!! これです! これはうまい! 正しいインドカリー!! 名前のエチオピアに意味はない。 田舎でも手に入る正統派レトルトカリーだ。 何年か前、拓郎のLiveに 神田共立講堂に行った時、 息子の亮太と一緒に エチオピアカリーの本店に行った。 うまかった! そしてびっくりしたのは レトルトとおんなじ味だった事。 店と同じ味を出すのは 大変だと思う。 変な混ざり物も何も入ってない。 後味に遠くで林檎を感じる。 ところで激辛カレー。 まず


幽体離脱
自分の意思で 身体から抜けた経験は2回ある。 部屋を暗くして身体を横たえる。 目を瞑り、意識をおでこに集める。 そうすると、暗がりに オレンジ色の細かい点が 無数に広がってくる。 ここまでは簡単にできる。 が、魂を身体から離すのは、 ほとんど”まぐれ”でしかない。 一回目は、抜けた途端、 天井にだんだん近づいて行って 細かい模様まではっきりと 見えるまで上昇した。 2回目は、自分の何時もの目線より 20cmくらい上の景色を見ながら 廊下を5mくらい飛んだ。 共通して言える事は すごく”怖い”と言うこと。 言い換えれば”心細い”とも言える。 自分の身体に帰れないんじゃないか‥ と言う恐怖と 周りに何かいるんじゃないか‥ と言う恐怖があった。 多分、いい抜け方ではなかったのだろう。 なのですぐに戻った。 戻るのは簡単だった。 人によっては”気持ちいい”とか ”爽快”とか言ってる人もいる。 ただ、幽体離脱は相当危険らしい。 あんまりやってると、自分の身体を 他の悪い霊に乗っ取られてしまうらしい。 また聞いた話だが 高圧電線のそばにはいけないらしい。 相


新宿DOING
バンドの練習と言えばスタジオだ。 いろんなスタジオを使ってきた。 ROCK系ならペンタが多かった。 JAZZ系なら断然DOINGだ。 アマチュアの頃は極貧だったので 安くてコスパの良いスタジオを選んだ。 まあプロになっても 相変わらず貧乏ではあったのだが‥。 もちろん大掛かりな仕事なら それなりの立派なスタジオが用意される。 またROCKの場合、 最低でもCP70があると嬉しい。 シンセは担いで行けるから。 ただJAZZは生ピアノ、 できればグランドピアノがいい。 DOINGの2Fにはグランドピアノがあった。 (まあ、決していい状態ではなかったが‥。) DOINGには、数え切れないほど通った。 トリオやカルテットなどで、 いろんな人達と練習した。 たまにPOPS系の仕事のリハでは 1Fのスタジオも使った。 ここにはCP80とシンセがあった。 小谷野正、やのちゃんと仕事した時も 昼間1回合わせただけで 夜、本番にのぞんだ。 あん時はスティーヴィーや キャロルキングの曲を演ったな。 今でも覚えているって事は、 よほど楽しい現場だったんだな。 ところで


♪アッコちゃん来たかと‥
横浜時代の高級クラブでの話。 とにかくチャージが高い。 座るだけで¥30,000!の店。 お客は、ほとんどがスキンヘッド。 坊さんとヤーサマだらけ。 毎日、珈琲を飲みに ロールスロイスで通う坊さんも。 毎日¥30,500!! バンドは、ピアノトリオと チェンジの弾き語りのおっさん。 それと日替わりで ボーカルのオネーちゃん達が来る。 PAはいちおうあるが、 ヴォーカルのお姉ちゃんのマイクに 残響を付ける程度で 他の楽器は生音だった。 ピアノは気兼ねなく弾ける。 W Bassもそれなりにアンプで鳴らせる。 が、ドラムは蚊の鳴く様な音量で 叩かないとバランスが取れない。 店からもクレームがくる。 すべてブラシで演る訳にも行かない。 なんたってライドシンバルは スティックじゃないとね。 それと16系なんかのハイハットも‥。 そこでドラムの大野君は考えた。 最初は竹ヒゴを束ねた奴。 だが、これも 音量はあまり抑えられなかった。 そこで次に考えたのが”菜箸”。 これならかなり音量が抑えられる。 と喜んで望んだ1stステージ。 ところが運悪く、というか 当然


チャリンコ担いで
六本木時代も横浜時代も チャリンコは手放せなかった。 行きはいいのだが 演奏の仕事が終わるのが遅い。 六本木の頃は、終わるのが25時。 とっくに終電は終わっている。 なので担いでった折り畳み自転車を 道端で組み立てて江古田まで帰る。 スーツも脱ぎ捨て 短パンにTシャツ、ビーチサンダルで 楽譜と衣装を背中に担いで突っ走るのだ。 その頃乗ってた自転車は かなり小型でタイヤも小さかった。 なので暗がりで見ると ビーサン短パンのでっかい奴が 飛んで来る様に見えたらしい。 しょっちゅう職質を受けた。 そのたびに楽譜を見せて説明した。 物凄いスピードでかっ飛ばすので 電車で来るより早く家に着いた。 途中、乃木坂とか青山とか 四谷とか信濃町とかを通るのだが、 なんだか怖い怪しげな廃屋が 何軒かあったな。 たまぁ〜に中からうめき声が‥‥。 速攻で逃げた。 横浜の頃は、週末以外は 何とか電車で目白までは来れたので 行きもチャリで目白まで行って 目白から電車で通っていた。 週末は深夜も弾いてたので 帰るのは朝だった。 が、ベロンベロンに酔っ払ってるので 東横線で、渋


多重録音
最初はMTRからだった。 マルチトラックレコーディング いわゆる多重録音のこと。 20代前半の頃 ティアックの4トラックの オープンデッキとミキサーを ローンで手に入れた。 と言ってもたったの4チャンネル。 単純に考えても4回しか録音できない。 それをステレオにしたいとなると ピンポン録音するしか無かった。 まず1トラックに リズムマシンと一緒にBASSを録音する。 もちろんドラムは1曲分打ち込んである。 それを聴きながらBASSをシンセで手弾きする。 今度はそれを聴きながら ピアノを2トラックに録音。 ここで欲を出してステレオを狙うなら 1トラと2トラの音と一緒に ストリングスなりオルガンなりを弾いて 3&4トラックにLRで録音するのだ。 そして、ここが重要なのだが、 これが基本となる土台の最終形だという事。 後で、ピアノが小さいとか ストリングスがうるさいとか嘆いても もういじれないのである。 ちなみにせっかくなので ストリングスやオルガンは リバーブなりコーラスなりをかけて ステレオにして録音する。 さてこれで3&4トラックに ドラム、BA