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マルエム


子供の頃

「街へ行く」と言えば

本町だった。

店は今とそんなには変わらないが

人出が全然違う。

毎日が24日市の様な感じだ。

今では信じられないが

年末なんか人だらけで

クリスマスソングが流れていて

すんごく幸せだった。

そんで小さい頃、一番ワクワクしたのは

おもちゃ屋「たなはし」だった。

今、考えれば狭い店なのだが

キラキラして天国の様な場所だった。

もちろん買って貰えるのは

たまぁ〜にだったけど。


小4くらいになると

おもちゃよりもプラモや

ラジオ工作に興味が移った。

それにドンピシャな店が

マルエムにあった。

マルエムは、かじ橋のそば

今のホテルa-1の辺りにあった。

覚えているのは、入ってすぐに

ケーキ屋があった事。

多分他にも色々店はあったのだろうけど

まったく覚えていない。

お目当ての店は一番奥にあった。

プラモデルやラジオの部品

なんかが置いてある狭い店。

自分にとってはお宝だらけの店だった。

お金なんか持って無いので

外から眺めてた。

そんで正月とかお金をもらうと

すっ飛んで行ってた。

持ってるお金ギリギリで

プラモを選んですっ飛んで帰る。

さっそく作り出すのだが

そこでショックな事が‥。


モーターが別売り!泣


マブチモーター。

1個何百円はした。

そんな余分なお金は無いので

モーター無しで作っていくしかない。

お金が入ったら、また

マルエムにすっ飛んでいくのだ。

そういえば

店の外にピンボールマシンがあって

怖そうな奴らがたむろしてた。

たった2台のピンボールマシンが

当時の高山のゲーセンだったのだ。

怖いから、ちょっと離れて見てた。

奴ら機械をガタガタ揺さぶって

プレイしてた。


やっぱり悪い奴らだと思った。


プラモ作りで一番ショックなのは

部品を、無くす事、破損する事。

戦車なんかキャタピラに

タイアがいっぱいいるけど

1個なくすと、もう終わり、

キャタビラが付けれなくなるのだ。


そう言えば熊崎君。


家に遊びに行ったら

水槽みたいな中に

ジオラマが作ってあって

きれいにかっこよく塗装された戦車と

武装した兵士が何人か配置されていた。

ちゃんと戦闘でついたであろう

微妙な汚れまで再現されていた。

小学4,5年の技ではなかった。

感動したな!

最近プラモは作ってない。

実は作りかけのが2つばかりある。

ほぼ30年ほったらかしている理由は

「塗装」だ。

部品一つひとつに

細かく塗装の指示があり

やらなきゃいいのに

それから始めてしまったのだ。

要するに゛めげた゛のである。

熊崎君の凄さが改めてわかった。


ちゃんちゃん。








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