最初のレパートリー
高校の頃、JAZZPIANOを習いに名古屋へ通っていたのだが、実際習っていたのはポピュラーピアノだった。「シバの女王」とか「モア」とか「ロミオとジュリエット」とか‥‥。自分が目指していたのはEL&Pのキースエマーソンだったので、かなり面食らったものだ。なので音楽室とかで弾くのは「いとしのレイラ」の最後のとことか、「太陽にほえろ!」のテーマとか、「イッツーレイト」のイントロとか、「傷だらけの天使」の挿入歌とかだった。東京に行っていろいろあって、やっと辛島さんにJAZZが習える様になった頃、トラ(エキストラ)の仕事が入り出した。最初は銀座だった。高級クラブの仕事だった。けれど弾けるのはたったの4曲だった。それも「太陽にほえろ」とかしか無かった。さっそくボーイにいびられたものだ。「その曲、さっきもやったじゃん!」とか耳元で言うのだ。「うるせ〜やい、こちとら4曲しか弾けんのじゃい!」とか心の中で叫んでいた。それでしょうがないから「永遠のPOPS」を買って来た。もちろんそんな物の練習なんぞしない。つまらないからだ。ぶっつけで適当に弾くのだ。練習はJAZZしかしなかった。ということでその日からレパートリーは楽譜の数だけ一気に増えた。もちろん眼が極端に悪いので、ほとんど見えないのだが、何となく感を頼りに弾いていた。まあ、そういうのもあってメロディーフェイク(崩すこと)やコードを適当に付けれる様にはなった。今では、時と場合にはよるが、5分や10分くらいなら適当にそれらしい曲をその場で作って弾くこともできる。高山の結婚式はヤケに長い場合があって(6時間!とか(T . T))、そんなに目出度い曲は世の中にはあまり無く曲不足になるので、その場合それらしい曲をでっちあげて作って、知らん顔して弾いていたことも何度かある。だいたいにおいて「いい曲」は失恋の曲なのだ。結婚式ではご法度なのである。