西田君(3)
勝手に観光協会が関ヶ原に行った時の一枚。
つい撮ってしまったのは、
あまりにも似ていたからである。
西田君にである。
亡くなって20年以上経つが
いまだに強烈なイメージを残している。
居酒屋やバーで飲んでいても
「飲ませてもらっとるんやからな。」
と店に対していつも遠慮していたな。
それといつも有馬さんと口喧嘩してた。
まあ、側から見てる分には
有馬さんが悪いのだが。
あまり自分のことを自慢することはなかったが、
おしっこが早いのは自慢してたな。
文化会館の照明のピンスポ担当だったから、
トイレは早い方がいいのだ。
それとJAZZなどでのソロ回しのピンスポには
かなり自信を持っていたな。
まあ、あれだけJAZZを聴きまくれば
自ずと身に付く技ではあるな。
雪が降ると西田君が逝った日を思い出す。
僕の部屋の中を鈴の音が横切ったのだ。
ゆっくり左から右へ目の前を横切ったのだ。
そのすぐあとお父さんから連絡がきて
「みんなに知らせてほしい。」
ということだったので
夜の朝日町へ出かけていった。
夜の飲み屋街で広めるのが
西田君の場合は早いのだ。
そういえば西田君、夜の街では
「師匠」と呼ばれていたな。
確かに何でも知ってたな。
もう誰もいなくなっちゃうな。
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