弾きまくってた頃


プロになって一番キツかった事。

それは六本木のクラブでの歌伴。

まぁ、そこの店は幸か不幸か

初見ではなかったのだが‥。

(普通、プロの現場は初見だ。)

と言うことはリハがあると言う事。

週に1、2回は居残り練習だった。

夜中1時に営業が始まって朝5時までの店。

んで、それからがリハだ。

1人や2人じゃない。

軽く20人くらい歌手がいた。

ホステスがほぼ全員歌手なのだ。

そのほとんどが順番を待っている。

なので終わるのが朝8時なんてぇのがザラだった。

その中には、あの「エヴァマリア」もいた。

エヴァさん、歌は上手かったなぁ。

(譜面は汚かったけど‥。)

11PMのカバーガールの佳の実もいた。

この頃はキツかったな。

半分寝ながら弾いてた。

バンドはTrioだった。

今、思うとかなり恵まれたメンバーだった。

名前は、38Trio のちに39Set。

当時みんな子持ちで(ここは奥深い話)

僕に亮太が生まれたので

子供の総勢が8人から9人になり

バンド名が変わった。

ベースは赤間君。

スタジオ系でドラえもんのベースも弾いてた。

ドラムは都築さん。

JAZZでPIT-INNにも出てるし

ROCK もやっていた。

なのでJAZZからフュージョン、

ROCKから歌謡曲まで

何でもござれの強者達だった。

その強者達を、

自分はグランドPとシンセ、

背中にはバスドラ

左横にはベーアン(右にベース)

と言う凄んごいセッティングで演っていた。

狭い店なのだ。だが、

リズムは良いし音もいいので

気持ち良かったなぁ。

人生で一番のTrioだった。

実は僕とドラムの都築さんは

早い時間は別の店で演っていた。

西荻でのオールディーズバンド

西荻ダイナマイツだ。

のちのライターズ。

こっちもオモロい話がいっぱいあるが、

今度にするよ。

そんでそれが11時に終わって

JRで渋谷まで行き

地下鉄が終わってるので

深夜バスで六本木に通ってた。

まぁ、この頃のお陰で

歌伴なるものが少しだけ身についた。

ただ、完全に夜型の身体にはなったが‥。

今、病院の日は朝6時起きだが

当時を考えると信じられないなぁ。

バブルの頃なので演奏の仕事も

選べるほどあったなぁ。

一番仕事してた頃は横浜で

夜7時から弾き出して

終わるのが朝の5時、

店を3軒掛け持ちしてた。

まぁ、半年で腱鞘炎になったが‥。

こんな日々が20代の後半続いてた。

そんでたまにスタジオの仕事や

コンサートのサポートや

BGMなどを創る仕事をしてた。

そういえば「佳の実」。

本番で歌い出さずマイクを叩いてる。

こっちは焦って演奏しながら

PAのチェックだ。

どこも壊れてない!

そしたら2番から

何事もなかった様に歌いだした。

あとで聞いたら

歌詞を「ど忘れ」したから

マイクのせいにしたんだとか‥。

やるなぁ、咄嗟にすごいなぁ。

プロだなぁ‥と思った瞬間だった。

ちゃんちゃん。


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